『魂が震える話』 ゆう けい
「当たり前の大切さ」
今日、懐かしいお客様のお母さんに会いました。
24年前の出来事「当たり前の大切さ」を思い出しました。
私が初めて焼鳥屋を開業したとき、赤字続きで、悪戦苦闘の毎日でした。
その頃、近くの居酒屋で女の子が働いていました。
その子は調理師の専門学生でした。当時19歳くらいかな?
とても元気で、チラシ配りのときに会うと話をしました。
うちの店にもちょこちょこ寄ってくれ、
よく仕事の話で熱く盛り上がって「頑張ろうな」って励まし合っていました。
「近い将来、マイブランドを展開するぞ。その時おまえ、料理長で来いよ!」
「ええで、まかしといて。元気なお店つくるしね!」
けれど、突然、彼女がお店に来なくなり、連絡もとれなくなりました。
3ヵ月くらいたって電話があり
「今、入院してるねん」とのこと
「おーそうか、見舞い行ったるわ、病院どこ?」と聞くと
「ボス、そう言うと思ったし、なかなか電話しづらかったんや。絶対来んといてな、かっこ悪いし・・・」
「お前、そんな重症なんけ?どこ悪いの?」
「うん、まあたいしたことないんやけど・・・」と
言いづらい様子。
「でもボスの焼鳥食べたいな」
「そうか、わかった。焼鳥、おかあちゃんに渡しとくわ、俺からの差し入れ!」
「ほんま、めっちゃうれしい!ありがとう!楽しみにしてるわ!」
その日、彼女の家に届けに行きました。
お母さんに彼女の具合を聞いても、病気の内容には触れられない感じ・・・。
でもめっちゃ喜んでもらえた。
何回か差し入れに励ましの手紙を添えて、お母さんに届けに行きました。
「ボス、ありがとう。あの子だいぶよくなってきたし!
退院したら真っ先にボスのとこ行くねん、言ってたしね」
「そうですか、退院パーティーしようね!」と言って帰ってきました。
私の誕生日に手紙をもらいました。
「最高の1年でありますように。
ボスパワーでお客さんに元気を与えてね!うらやましいぞ!」
それから3か月後、彼女は亡くなりました。
お通夜で彼女のお母さんから聞かされました。
「あの子は本当に料理が好きで、人が好きで、
いつでも復帰できるように、
包丁握ったり、レシピ書いたりしてたえ。
薬の副作用で痛いはずやのにね・・・」
少しのことで「しんどい」「やめたい」と思っていた自分が本当に情けなく、小さく感じました。
彼女は入院中、毎日日記を書いていたそうで、読ませてもらいました。
「病気になって初めて、健康な体っていいなって思えた。
あたいの体、もう少し頑張ってくれ」
「お父さん、お母さん、お兄ちゃん、ほんまにありがとう」
「あたいの夢は元気になってお店に立って、もう一度料理を創ること。
絶対にできる!」
涙が邪魔して、それ以上読めませんでした。
自分が当たり前に過ごしていることが、
彼女には当たり前じゃなく「夢」やったんです。
そのとき、どんなことがあっても逃げたらあかん、
絶対逃げない、絶対辞めない、と自分に誓いました。
やりたいことがあっても、世の中、できない人もいるんやで。
そのことに気づかせてもらえた。
「感謝の気持ち」「プラス思考」「決して諦めない心」「今を楽しむ力」・・・
浪漫家の心を創ってくれたのは彼女でした。本当にありがとう。
仕事をしたくても、できない人もいる。
自分で選んだ仕事やのに、愚痴を言ってる人もいる。
みんなで力を合わせて頑張ろうと言いながら、適当にやってる人もいる。
大切なことに気づかせてくれてありがとう!
もっと今に感謝して、全力で楽しんで生きていきます。
今日、久々に24年前の出来事を思いださせてもらいました。
涙がでました。お母さんありがとう。
浪漫家 ボス 福井将一さんの話
今日、懐かしいお客様のお母さんに会いました。
24年前の出来事「当たり前の大切さ」を思い出しました。
私が初めて焼鳥屋を開業したとき、赤字続きで、悪戦苦闘の毎日でした。
その頃、近くの居酒屋で女の子が働いていました。
その子は調理師の専門学生でした。当時19歳くらいかな?
とても元気で、チラシ配りのときに会うと話をしました。
うちの店にもちょこちょこ寄ってくれ、
よく仕事の話で熱く盛り上がって「頑張ろうな」って励まし合っていました。
「近い将来、マイブランドを展開するぞ。その時おまえ、料理長で来いよ!」
「ええで、まかしといて。元気なお店つくるしね!」
けれど、突然、彼女がお店に来なくなり、連絡もとれなくなりました。
3ヵ月くらいたって電話があり
「今、入院してるねん」とのこと
「おーそうか、見舞い行ったるわ、病院どこ?」と聞くと
「ボス、そう言うと思ったし、なかなか電話しづらかったんや。絶対来んといてな、かっこ悪いし・・・」
「お前、そんな重症なんけ?どこ悪いの?」
「うん、まあたいしたことないんやけど・・・」と
言いづらい様子。
「でもボスの焼鳥食べたいな」
「そうか、わかった。焼鳥、おかあちゃんに渡しとくわ、俺からの差し入れ!」
「ほんま、めっちゃうれしい!ありがとう!楽しみにしてるわ!」
その日、彼女の家に届けに行きました。
お母さんに彼女の具合を聞いても、病気の内容には触れられない感じ・・・。
でもめっちゃ喜んでもらえた。
何回か差し入れに励ましの手紙を添えて、お母さんに届けに行きました。
「ボス、ありがとう。あの子だいぶよくなってきたし!
退院したら真っ先にボスのとこ行くねん、言ってたしね」
「そうですか、退院パーティーしようね!」と言って帰ってきました。
私の誕生日に手紙をもらいました。
「最高の1年でありますように。
ボスパワーでお客さんに元気を与えてね!うらやましいぞ!」
それから3か月後、彼女は亡くなりました。
お通夜で彼女のお母さんから聞かされました。
「あの子は本当に料理が好きで、人が好きで、
いつでも復帰できるように、
包丁握ったり、レシピ書いたりしてたえ。
薬の副作用で痛いはずやのにね・・・」
少しのことで「しんどい」「やめたい」と思っていた自分が本当に情けなく、小さく感じました。
彼女は入院中、毎日日記を書いていたそうで、読ませてもらいました。
「病気になって初めて、健康な体っていいなって思えた。
あたいの体、もう少し頑張ってくれ」
「お父さん、お母さん、お兄ちゃん、ほんまにありがとう」
「あたいの夢は元気になってお店に立って、もう一度料理を創ること。
絶対にできる!」
涙が邪魔して、それ以上読めませんでした。
自分が当たり前に過ごしていることが、
彼女には当たり前じゃなく「夢」やったんです。
そのとき、どんなことがあっても逃げたらあかん、
絶対逃げない、絶対辞めない、と自分に誓いました。
やりたいことがあっても、世の中、できない人もいるんやで。
そのことに気づかせてもらえた。
「感謝の気持ち」「プラス思考」「決して諦めない心」「今を楽しむ力」・・・
浪漫家の心を創ってくれたのは彼女でした。本当にありがとう。
仕事をしたくても、できない人もいる。
自分で選んだ仕事やのに、愚痴を言ってる人もいる。
みんなで力を合わせて頑張ろうと言いながら、適当にやってる人もいる。
大切なことに気づかせてくれてありがとう!
もっと今に感謝して、全力で楽しんで生きていきます。
今日、久々に24年前の出来事を思いださせてもらいました。
涙がでました。お母さんありがとう。
浪漫家 ボス 福井将一さんの話
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