2014年6月27日金曜日

『なぜ世界の人々は「日本の心」に惹かれるのか』 呉善花

『なぜ世界の人々は「日本の心」に惹かれるのか』 呉善花





イザベラ・バードは、蒸し暑い夏場の宿場の休息所で、おかみさんが団扇で何時間も扇ぎつづけてくれるので、チップを渡そうとしたところ、「そんなものをもらうのはとても恥ずかしいことだ」と拒否されたと書いている、明治初期の話



日本陸軍の従軍カメラマンとしてイギリスからきたポンティングは、日本の自然と文化をこよなく愛したが、その中でも、神社の拝殿の軒下にかけられた同鏡に書いている。「これは、参詣者に「汝自身を知れ」と言っているのである、神道のすべての教えが象徴されている、神道には教理や道徳律は一切ない、世俗的な誘惑を避けるように訓戒を垂れることもしない、鏡が無言で説いているのは、鏡に映った自分自身の心をみつめて「清らかかどうか」を確かめることだという。彼は、常に心を清らかに保とうするところに、日本人の信仰心のあり方を感じ取っていた。



韓国や中国には、日本や西欧いような、武人統治下に成熟した封建制社会の歴史がない。そのため、倫理や道徳の基本は儒教的制度であり、その担い手は王朝国家の文人高級官僚であった。武人は地位が低く武人の中から独自の倫理観、道徳観が育つことはなかった。



日本は、武人に発した武士道が、制度ではなく「生き方」の道として江戸時代には、一般町民階層にまでおおきな影響を及ぼした



万物は「誕生し衰え死を迎え再び誕生する」永遠に生生流転(せいせいるてん)する大きな流れの中にあるという自然理念。そこに、常住不変ではないとする仏教的な無常観、その二つが結びついた。



衰えて陰りを持った生命、あるいは誕生前の未熟な生命に対して深い愛情を感じ、それを美しいと思う心、美意識は、そのまま「もののあわれ」の情緒に通じる。



常に生死の循環のうちにある動的な生命である。その動きに自分と同じ宿命(さだめ)をもった魂の所在を感じ感動する



中世以降は、死と隣り合わせに生きる武士に重ねられて「花は桜木、人は武士」と、その散る姿の清らかさが讃えられた。ちりぎわが、いさぎよくあってこそ美しいというのは日本人の特有な感性だと思う。



お茶を飲む習慣は、東洋、中東、ヨーロッパにもあった、しかし、「審美的な宗教」とまで言われる領域に入ったのは日本だけ、審美の対象は、天心がいうように
「純粋、完全なもの」ではなく「不完全なもの」である。それはつまり、どうにもコントロールしようのない人生というものの中に、「何か可能なものを成就しようとする優しい試み」なのである。



「草木成仏論」は、植物にも精神性があり仏になれるという。
それが日本に伝えられると、「草木」はもちろん、「国土」も「山川」も、つまり、無機物を含めた一切の自然物が仏性を持つという考え方になる、日本仏教の独自性が現れている





2014年6月23日月曜日

『けもの道』 藤村忠寿(水曜どうでしょうディレクター)

『けもの道』 藤村忠寿(水曜どうでしょうディレクター)




いやぁーひとり旅はいいなぁーって
一人旅でも何でもないよ、それは、社会に守られて、その中で「ひとり気分」を味わっているだけ。



自分の持っている武器で闘うしかない、その武器で戦える範囲で闘う




目標とか夢はそれを着実に実行しようと思った時点でそれ以上のことはできない、カタチを作った時点で、よくやった、いいでしょう、と終わってしまう。
予想される結果以上を求める方がいい



ターゲットを限定する、誰には見ても面白くないというもので良い、誰にでも受けるものは誰にも受けない、だから、恋愛や下ネタを入れないなど、やらないことを決める
あとはセンスの勝負に持ち込める




一発ギャクでは笑えない。
仮に笑っても反射神経的に笑ったんであり、腹の底から笑っているわけではない。
本気で笑うには「状況」が必要





2014年6月18日水曜日

『これから、どう生きるか』  本田健

『これから、どう生きるか』  本田健








お金の知性面では
「稼ぐ」「使う」「守る」「増やす」の4つをマスターすること



あなたに、楽しさと幸せをもたらしてくれる。
誰かと食事をしたとか、何かを買ったことや誰かにプレゼントしたことかもしれない



やりたいことがほとんど叶えられず、
不満を感じながら生きている人がいる、そういう人は、
ずっと、○○できたはずだという思いが手放せないから




いったんこれまでの夢に死亡宣告を下して、
全く違う人生をスタートするのも賢い生き方だと思う



2014年6月16日月曜日

ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書2』

ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書2』





■ジャズシンガー 綾戸智恵

大切なのは「一生懸命生きること」
生きていれば、表現するものの中にその人の人生が映し出される。
一生懸命に生きていなければ何も映らない、テクニックばかりだと機械的になる、音楽も料理も絵も一緒。

16歳の自分は私は感謝している。あのとき出来ることは全部やったし、「あの時あれをやっておけばよかった!」みたいな感覚は一切ないの、人生のどの場面を切っても完全燃焼している。


好きな言葉は「生きたるで!」やね。もし神様が決めた寿命があるなら、それより一日長く生きたい




■マザーテレサ
「世界平和のために何をしたら良いか?」
「家に帰って家族を大切にしてあげてください」






■ミスター日産GT-R 水野和敏


勉強の出発点が先生やテストになっているから、勉強がオモシロイはずがない。でも出発点が自分になると、勉強はオモシロイ。自分がやりたいこと、知りたいことを調べる。勉強というより冒険の延長。


学校ではクラスで30―40人いると、先生はコミュニケーションは取れない、だから管理する、管理するには管理しやすい人間に教育する、また管理され易い人間ほど、良い生徒と評価される。


プロとアマチュアの差は・・
アマチュアは自分のためにやる、草野球など
プロは誰かのためにやる、ミュージシャンなど
仕事はその分野でプロになるチャンス


使い捨てではなく、デザインや手触りのよいもの、繰り返し使えるものを作らないのか。


若い人はよく「自分探し」をする
しかし、もし無人島に一人ぼっちだったら、「自分」を意識するだろうか?
自分はなにもので、自分らしさってなんだろ~って考える?
そんなことはありえないと思う、朝起きて、腹が減ったらメシ食って、眠くなったら寝る、ただそれだけの話、「ほかの誰でもない自分」である必要なんてないんだから。
自分らしさというのは、「人に映る自分の姿」
一人で考えても「自分」を見つけることなんてできない、自分を見つけてくれるのは他者なんだから。



「恋愛」は自分そのものに出会う。
好きな子のことを考える、今朝は天気予報を見たかな?傘持ったかな?駅まで迎えにゆこうかな?

自分の利益なんて考えない、改札から出てきた彼女がニッコリ笑って差し出した傘に感謝してくれて「ありがとう」と言ってくれたら、それで、君が君であることの意味が生まれる。君が生きている理由、君がここにいる理由も、君が「あの人」や「その人」でない理由も、全ては彼女の中に生まれる。
自分らしさは「人に映る自分の姿」だというのはそういうことだ。


相手に何かを求めているうちは「恋愛」ではない。
「もっと、僕を見て!私をもっと愛して!ありのままの自分を愛して!」これは恋愛ではなく、ストーカー心理である、一方的に求めているだけ。

自分を「無」にして与え続けることで「ああ、この人は世界にったひとりの大事な人なんだ」って愛が生まれる。








2014年6月12日木曜日

『のうだま』 上大岡 トメ

『のうだま』  上大岡 トメ





脳は一度見たものを馴化(じゅんか)して「当たり前のもと」とする

「努力は継続してやらなければ結果が伴わない場合が多い」
松井秀喜
「続ける」ということが結果を出す

とにかく頭で考えるより
カラダを動かす!

脳は騙されやすいので
「やるんだぞ」としてしまえば脳は騙されて「やる気」になる

淡蒼球は自分の意志では動かせない
起動スイッチが4つある  
B body カラダを動かす
運動野にある
E experience いつもと違うことをする
海馬にある
R reward ご褒美を与える
テグメンタにある
I ideomotor なりきる
前頭葉にある

移動している時はアイデアが浮かぶのは移動して違う風景を見ると淡蒼球が動くから


最初は目標を小さくする
 →まずは20回続けよう

腹八分目で止める
 →次回が待ちとおしくする

ご褒美を用意する
 →ご褒美をゲットしたときの自分の想像しよう

同じ時間にやる
 →体内時計に覚えてもらう 
 学習効果を効率よくする「4つの時間を決める」
  朝起きる時間  勉強を始める時間  晩御飯の時間  寝る時間

カタチから入る
 →なりきったもん勝ち

図々しい妄想をする
 →下心だって立派なモチベーション

友達を巻き込む
 →ひとりより二人で刺激し合いながらやろう

誉めてくれる人を用意する
 →認めてくれるひとがいるとやる気が出る

続かなくっても当たり前だと思う
身銭切る
今の習慣にドッキングさせる
人前でやってみる
気が乗らなくってもその場へ行く
移動中にやる
はじめの気持ちを思い出す 紙に書く
誰かを喜ばすためにやる

カラダが主導権を握っており
「脳からカラダ」ではなく「カラダから脳」
脳はカラダの奴隷である

やるからやる気が出る

2014年6月10日火曜日

『魂が震える話』 ゆう けい

『魂が震える話』 ゆう けい







「当たり前の大切さ」

今日、懐かしいお客様のお母さんに会いました。
24
年前の出来事「当たり前の大切さ」を思い出しました。

私が初めて焼鳥屋を開業したとき、赤字続きで、悪戦苦闘の毎日でした。
その頃、近くの居酒屋で女の子が働いていました。

その子は調理師の専門学生でした。当時19歳くらいかな?
とても元気で、チラシ配りのときに会うと話をしました。
うちの店にもちょこちょこ寄ってくれ、
よく仕事の話で熱く盛り上がって「頑張ろうな」って励まし合っていました。

「近い将来、マイブランドを展開するぞ。その時おまえ、料理長で来いよ!」
「ええで、まかしといて。元気なお店つくるしね!」

けれど、突然、彼女がお店に来なくなり、連絡もとれなくなりました。

3ヵ月くらいたって電話があり
「今、入院してるねん」とのこと

「おーそうか、見舞い行ったるわ、病院どこ?」と聞くと
「ボス、そう言うと思ったし、なかなか電話しづらかったんや。絶対来んといてな、かっこ悪いし・・・」
「お前、そんな重症なんけ?どこ悪いの?」
「うん、まあたいしたことないんやけど・・・」と
言いづらい様子。

「でもボスの焼鳥食べたいな」
「そうか、わかった。焼鳥、おかあちゃんに渡しとくわ、俺からの差し入れ!」
「ほんま、めっちゃうれしい!ありがとう!楽しみにしてるわ!」

その日、彼女の家に届けに行きました。
お母さんに彼女の具合を聞いても、病気の内容には触れられない感じ・・・。
でもめっちゃ喜んでもらえた。

何回か差し入れに励ましの手紙を添えて、お母さんに届けに行きました。

「ボス、ありがとう。あの子だいぶよくなってきたし!
退院したら真っ先にボスのとこ行くねん、言ってたしね」
「そうですか、退院パーティーしようね!」と言って帰ってきました。

私の誕生日に手紙をもらいました。
「最高の1年でありますように。
ボスパワーでお客さんに元気を与えてね!うらやましいぞ!」


それから3か月後、彼女は亡くなりました。
お通夜で彼女のお母さんから聞かされました。

「あの子は本当に料理が好きで、人が好きで、
いつでも復帰できるように、
包丁握ったり、レシピ書いたりしてたえ。
薬の副作用で痛いはずやのにね・・・」

少しのことで「しんどい」「やめたい」と思っていた自分が本当に情けなく、小さく感じました。

彼女は入院中、毎日日記を書いていたそうで、読ませてもらいました。

「病気になって初めて、健康な体っていいなって思えた。
あたいの体、もう少し頑張ってくれ」
「お父さん、お母さん、お兄ちゃん、ほんまにありがとう」
「あたいの夢は元気になってお店に立って、もう一度料理を創ること。
絶対にできる!」

涙が邪魔して、それ以上読めませんでした。
自分が当たり前に過ごしていることが、
彼女には当たり前じゃなく「夢」やったんです。
そのとき、どんなことがあっても逃げたらあかん、
絶対逃げない、絶対辞めない、と自分に誓いました。

やりたいことがあっても、世の中、できない人もいるんやで。
そのことに気づかせてもらえた。

「感謝の気持ち」「プラス思考」「決して諦めない心」「今を楽しむ力」・・・

浪漫家の心を創ってくれたのは彼女でした。本当にありがとう。

仕事をしたくても、できない人もいる。
自分で選んだ仕事やのに、愚痴を言ってる人もいる。
みんなで力を合わせて頑張ろうと言いながら、適当にやってる人もいる。

大切なことに気づかせてくれてありがとう!
もっと今に感謝して、全力で楽しんで生きていきます。

今日、久々に24年前の出来事を思いださせてもらいました。
涙がでました。お母さんありがとう。


浪漫家 ボス 福井将一さんの話

2014年6月6日金曜日

『大泉エッセイ』 大泉洋

『大泉エッセイ』 大泉洋








水曜どうでしょう
客観的に考えてみれば

「おっさん4人が、おおかた、聞くにたえないけんかをしながら、たいがい甘いものを食いつつ旅をしている番組」

しかも

近年は、
「おっさん4人が、おおかた、聞くにたえない喧嘩をしながら、たいがい甘い物を食べつつ、夜にはしこたま酒を飲み、「ヒゲ」と天パが裸で相撲を取る」番組になっている


そんな番組のどこが面白いんだろう?と思われるかもしれない



分析するに
すいようどうでしょうの面白さの一つの要因は
あのヒゲの笑い声にある、つられて笑う


そして
日本のバラエティ史上に残る独自の新しい手法があると思う、それは

「カメラが演者を撮らない」という手法



2014年6月4日水曜日

『日本人ほど個性と想像力の豊かな国民はいない』 呉善花

『日本人ほど個性と想像力の豊かな国民はいない』 呉善花






一方的に助ける援助ではなく、協力関係こそが正しいODA


だいたい援助というからおかしいです。協力というべきでしょ。援助といえば一方的に助けることになりますが、協力であればお互いに助け合うことになる。途上国に援助するし、逆に援助も受けたい、日本の農村に来て手伝ってもらえると大きな力になる。





シンガポールのようにオフィス街、公園、住宅地、ショッピング地のように綺麗に整理されたイメージの重層化をもたらすことのない都市は、合理的でテクニカルな近代を延長させたものに過ぎず、何ら未来的なイメージをかきたてるものではない




庶民主義の日本、大衆的な愚民社会と酷評する向きもあるが、私は大多数の庶民を主人公に持ち上げることによって運営されている日本の社会を愛するし、日本の庶民はけっして愚民ではない



日本資本主義のプロセスにあってもまた、先進的なものによる伝統的な日本の巻き込みという、日本文化の自然の力学が作用を果たしている



飛行機に乗り遅れそうなときに、空港内を荷物をもって一緒に走ってくれたスタッフに、感動したのは、航空会社の社員としてのサービスの妙だけでなく、それが、サービス以前の彼女の自然な人間性をも感じさせるものだったからだ。





露天風呂の岩風呂は、実に徹底して人手が加えられていながら、どこまでが文化なのか、どこまでが自然なのかの境界線曖昧で、文化と自然が互いに溶け込み合っている、いわば、自然の地肌を生かした文化なのだ。








2014年6月2日月曜日

『一日1分元気になる法則』 福島正伸

『一日1分元気になる法則』 福島正伸



     最強の能力とはあきらめないこと

     他人を元気にすると自分が元気になる

     成長するほど他人の長所が見えてくる

     二度と会えないと思って相手の話を聞く

     話す言葉を選ぶ前に話す気持ちを選ぶ

     スゴイ人を見て「才能だな」という人は諦めている「努力だな」という人は挑戦している

     悩んでいる時間は成長している時間

     商品に魂が入ると作品になる


     人生の正解とは自分が決めた所へゆくことである