『女川一中生の句 あの日から』 小野智美(編)
鈴木友理 3年生
あの日、山の上の中学校にいた。地震後、高校から下校途中の姉が中学校へやってきた。やがて母も駆けつけた。
「お姉ちゃんと一緒にいなさいよ」。母は町の自宅へ祖母を迎えに行った。それが最後の言葉となった。その日に限って朝、「行って来ます」と言わなかった。
7月、葬儀をした。父が手を尽くして集めた写真を袈裟に包んで荼毘に付した。その時だけ、父の前で涙を見せた。
空の上 見てくれたかな 中総体 (11月)
母と祖母に今、一言だけ伝えられるなら、何を?
そう問うと・・笑顔を作りながら、声にならない声で答えてくれた。
今伝える 今まで本当に ありがとう (11月)
佐藤亮太 2年生
雀の子 とべよとべよと せかす母 (5月)
5月にこう詠んだ。雀の子は町のこと。早く復興せよ。
母の言葉に重ねた。よく母に言われたのは「早く起きなさい」「早く勉強しなさい」
母と祖父母の4人家族だった。
あの時に 見た光景は 忘れない (5月)
学校から女川港一帯が見えた。
母たちが経営するスーパーを波はのみこんでいた。
4日後、迎えに来たのは叔父だった。母、祖母、曽祖父母も帰ってこなかった。
11月の句
会いたいよ 今も変わらぬ この気持ち (11月)
阿部美紅 1年生
地震直後、学校の近所に住む祖母が迎えにきてくれた。上履きのまま、高台の祖母の家に急いだ、道中、涙が止まらなかった。
翌日、外へ出ると、変わり果てた町の光景が広がっていた「見たくない」と祖母の家に引き返した。
津波は浜辺の自宅を沖へ流した。
そばにいる 仲間がずっと そばにいる (5月)
家を失った友達は次々と転校していった。
でも、電話やメールでつながることはできる。そう確信をもって5月の句をつくった。
今は、仮設住宅に暮らす。
家の明かりを失った町の夜は暗闇に包まれる。
「空の方が明るいかな」
これまで気にも留めなかった夜空を見上げた。無数の星。
震災地を支援し続けてくれる日本中の人々、世界中の人々の数に重なった。11月の句には感謝をこめた。
星の数 みんなの思い 光ってる (11月)
佐々木真綾 2年生
高台の中学校から女川港が見えた。母の勤務先の5階建てビルの屋根まで黒い波が迫り、泣き叫んだ。
先生が整列を求めた、女子の列の外に男子を立たせて、「右側の山を見て歩きなさい」。先生は左の女川港(海側)を見ないように指示。
雪が降り続く中、学校より高台へ避難した。
新学期、子供を亡くした先生がいた。悲しみに沈んだその表情を見つめ、瓦礫だらけの道端に咲くタンポポが思い浮かんだ。
いつだって 道のタンポポ 負けてない (5月)
中学の吹奏楽部で打楽器を教えてくれた先輩が亡くなった、故郷の景色は一変した。
津波の衝撃は忘れない。自然は怖くなった。しかし、わたしたちは自然とともに生きてゆく。負けられない。
星澤岬 3年生
海の町に生まれたのだから・・と両親に海にちなんだ名前をつけてもらった。
夏は海水浴、素潜りも楽しんだ、海は大好きだった。
その海が、敵になるなんて。
高台の中学校から、「あれは何?」数秒、凝視した。目の前の光景が理解できなかった。女川港を囲んでいた町が水没して、一面が海になっていた。
うらんでも うらみきれない 青い海 (5月)
港から2kmはなれた、自宅まで波は到達、大きな漁船が流れ着き、家は残らなかった。
跡地の瓦礫を掻き分け探したが、ペンたてぐらいしか見つからず、買ったばかりのギターも無かった。
いつも思う 夜の星見て 明日も良い日 (11月)
国語は得意ではないが11月の俳句の授業は待ち望んでいた。「今の思い」を残したかったから。震災前には無かった気持ちだ。津波で家を失ってから変わった。
「良い日」も震災前とは違う。
家族や友達と楽しく過ごすことがなにより大事。一日一日の思い出を大切にしたい。
渡邊佳菜絵 3年生
5月、先生たちの心を打った句。
瓦礫と化した町を大人でさえ、正視できずにいた。
見たことない 女川町を 受けとめる (5月)
あの日は学校にいた。2日後、迎えに来た母と歩いて帰った。
道中、同級生の家の前、土台しか残っていなかった、涙があふれた。
自宅がある高台へ。何事も無かったように家並みが続く、涙がまた溢れた。
無事の家を知って何でまた泣いたのか?
「自分のうちだけ残ってしまって・・・」
そう答えただけで口を結んだ。震える唇は開いてみたが、声は出せず、ぼたん、ぼたん、と大粒の涙がこぼれた。
中学卒業後はパティシエをめざす。
この町で菓子店を開きたい。
新田周子 3年生
高台の自宅は無事だった。
5月、近所で仮設住宅の建設が始まった。朝、カンカンカンと工事の音が響く中、学校へ向かう、頑張るぞ!
工事中 沈む私の 応援歌 (5月)
あの日、中学校にいた。
翌日、母と兄が来た。
母に聞かれた「お父さんは?」
PTA会長だった父が中学校にいると思っていた。
父は一旦高台へ避難したあと、また、町の中心部へもどったと勤務先の人から聞かされた、消防団員だった。
「お父さんのことだから、避難所のお世話で忙しいんでしょ」と母は捜しに行かずに待っていた。
2週間後、母は「3日に1度は行こう」と意を決して遺体安置所に通い始めた。いつも入口まで一緒に行った。
父に会えぬまま、母は疲れきって出てきた。
やがて安置所は閉鎖された。
こう思うようにした。
お父さんは長い旅に出た。
だから悲しむ必要はない。私は家族の元気の源になろう!
6月に辛さをこらえきれず、1日だけ学校を休んだ。
悲しみに沈む母の胸にはすがれない。一人きりになって泣いた。
お父さんを見つけたいと思う?という記者の質問
「ずっと旅に出ていてほしい。今頃はインド洋に行って、違う民族になって暮らしているかな」
涙を拭って、微笑んでくれた。
**************************************
食べたくて悶える店づくりを全力サポート
※飲食店店舗診断 無料繁盛店レポートプレゼント実施中
株式会社クインテッセンス 飲食店支援部
東京都千代田区麹町4-8 麹町高善ビル2F
HP: http://www.monzets.com
Tel 050-3367-1861
050-3367-1862
Fax 050-3730-6736
E-Mail info@quintessence.co.jp
オモシロキコトモナキ世ヲオモシロク@クマ吉 http://omoshiro365.blogspot.jp
読書習慣@クマ吉 http://book-kuma.blogspot.jp
飲食店を作ろう!Twitter https://twitter.com/monzets_q
キャンプへ行こう!@クマ吉 http://ryhiruma.wix.com/camp
儲かる飲食店のつくり方 http://kuma-club.blogspot.jp
**************************************
0 件のコメント:
コメントを投稿