2015年4月29日水曜日

『ワタミ・渡邉美樹 日本を崩壊させるブラクモンスター』  中村淳彦

『ワタミ・渡邉美樹 日本を崩壊させるブラクモンスター』 
中村淳彦





理念とは「物事について、こうあるべきという根本的な考え」と定義とされている。
「ワタミの経営理念は自分の魂の叫び」
「24時間死ぬまで働け」という有名な理念に従い、意識や姿勢、人格や性格まで変貌して低賃金の長時間労働に走っている。


理念の追求という名目で従業員を美辞麗句によって支配し操る会社


従業員の女性が自殺した問題
遺族側は、真相究明と再発防止、ワタミ側の「誠実な」対応を求めた。
「渡邉美樹氏をはじめ、社内で責任ある立場の人が出てきて、遺族と会ってほしいという要望を提出しているが、実現してない」
会社側の回答は「会長との1回だけの面会」「面会時の録音不可」「労働組合の立会い不可」
加害者側が条件をつけるというあり得ない要望だった。
その後、ワタミは名古屋地裁に異例の加害者側から民事調停を申立てをした、申立ての趣旨はワタミ側が損害賠償の金額を決定するというものだった。


結局、裁判になり、渡邉氏が出廷する口頭弁論では、20人以上のワタミ社員が押しかけて原告側の支援者に傍聴席を確保させないように嫌がらせをした疑いがもたれた。


理念研修は、主に早朝に行われ、勤務時間外に開催されていることは言うまでもない


無限の我慢の論理であり、非常に悪質な精神論


全国津々浦々で膨大な人間が踊らされている「夢」という言葉


何の能力もない意識だけが高い若者のために無償、無条件で強力などするはずがない
「みんなの夢アワード」
目をキラキラさせた若者たちが、心から、社会のため、日本のためを思って参加している。そして、渡邉美樹は彼らの理解者のふりをしながら売名、政治利用をしている、気持ちが悪いイベント。


自分がない人間は、強い言葉にすがるしかない。


ネガティブな問題を「官」に責任転嫁。そこに、病院や介護施設の経営を立て直した、正義の味方、渡邉美樹が日本の救世主として登場するという自作自演のシナリオ



知名度は本格的に全国区になり政界進出。
53歳で文部科学大臣、55歳で総理大臣になると吹聴していたという


低賃金で長時間働かせて利益をあげるというワタミ経営をそのまま教育現場に持ち込んだ。
郁文館学園。
受験生や保護者が渡邉美樹の異常さに気づき志願者は募集人数を大幅に減らしている。


学校で、結婚している女性事務員が渡邉美樹(妻子持ち)と校長を股にかけて不倫していた。火のないところには煙は立たない。
俺と一緒になろうって口説いて旦那さんと離婚までさせている。渡邉の言葉を信じて離婚をしたMさんに「君の中に自分が求めるものがなかった」との一言メールをして関係を断絶している(週刊朝日、2010.4.30)
後から1500万円の縁切り料を渡邉側が支払ったとされる。
学園トップの不倫は学校関係者、父母までに知れ渡り郁文館夢学園は教育現場の体をなしていなかった。


ワタミ店長実名告発!「僕は目の前の焼き鳥が冷めていくのが耐えられない」という記事が掲載された。
内容は、感情論、精神論一色の衝撃的な告白。
ワタミの問題は、「労働基準法違反」「人命にかかわるコンプライアンスの問題」であるのに・・通常の感覚を持っていれば、店舗スタッフの労働基準はどうなっているか、それに対する改善策などを述べるだろうが、この店長は一切を無視して「ブラックなんていう声は関係ない」「毎日懸命に働く人生に価値がある」と、堂々と労働基準法違反を宣言して、社会と会話をする気がないスタンスである


茶話本舗の藤田英明は、渡邉美樹に影響を受けて「介護の産業化」「社会保障の産業化」を掲げている。
「感動をシェアしよう」「介護職の夢と誇りをのせて」「介護から日本を元気にしたい」「同志!」など『介護ポエム経営』に着手している。


渡邉チルドレンの一人、「てっぺん」居酒屋 大嶋啓介
朝礼でお互いの夢や仲間について絶叫しあいながら、テンションを上げて覚醒状態にして営業に突入するというものだ。
誰もが否定しづらい「夢」という言葉を利用して、従業員を洗脳して、自社の利益、自らの売名につなげている。
若者たちの純粋な「夢」を利用して、自身がセルフブランディングする渡邉美樹方法をそのまま踏襲した。
人に夢を語らせて自分が肥えるという「夢喰い」と言われる手法。
福岡市の小学校教諭が、自分の担当学級に、この朝礼を独断で持ち込み事件になった。小学校2年生の子供たちは大嶋と教諭に誘導されるままに、絶叫挨拶している。
「スーパーハッピー!ついてる!ついてる!」と叫ばされていた。
何もわからない子供に絶叫朝礼をさせる正視できない映像だ。

渡邉美樹と宗教的団体を融合させて生まれた儀式を義務教育に持ち込んだ。



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内容紹介

日本にブラックを蔓延させた渡邉美樹とは何者か!? 現代社会を生きるための自衛の書

Q:「ブラックと呼ばれるワタミの渡邉美樹さんについて本を作っているのですが、コメントお願いできますか?」
A:渡邉美樹事務所「…タイトル的にはなかなかよろしくない本のようですね」

いまやブラック企業の代名詞となったワタミ株式会社の創業者・渡邉美樹。
彼がワタミで作り上げた経営理念とは、「夢」「やりがい」「仲間」などという綺麗な言葉で労働者を洗脳し、骨の髄までコキ使う。
そんな地獄の労働システムだった。
本書はそんな理念経営が、ワタミの事業拡大とともに外食産業のみならず、介護界、教育界に伝搬、それぞれをブラック化させていく様を紹介。
国会議員にまでなりおおせた渡邉美樹という存在について検証する。

<目次>
序章 絶望的な介護現場は渡邉美樹を映した鏡
第一章 ワタミ崩壊~どうか助けてください、阿鼻叫喚の声が聞こえる~
第二章 渡邉美樹の所有物となる理念経営
第三章 渡邉美樹のせいで介護業界が大崩壊
第四章 無茶苦茶な言いがかりと恐怖政治で支配された郁文館学園
第五章 洗脳とセックスに狂う渡邉美樹チルドレンたち
第六章 まごころさんの絶望と、妄想まみれの議員生活
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2015年4月18日土曜日

『困った隣人 韓国の急所』 井沢元彦 呉善花

『困った隣人 韓国の急所』 井沢元彦 呉善花





後進アジアの革命はみな軍事クーデターだった。
軍事クーデター=悪というのが日本の認識だが・・
旧支配階級は地主、新興資本家が権力を牛耳っているため



日本は、同じ儒教の影響を受けても、忠と孝の一体ができたが、韓国はそうならなかった、あくまで自分の血縁一族への孝が第一であり、国に対する忠は後回しになった。腐敗の原因になっている。


日本は、私を捨てて大義に就く、血縁を超えて忠を優先する。



中国も儒教の本家、儒教というのはファミリー絶対優先。日本は、これではいけないということで、忠孝一致にした。
反日義兵軍の大将のもとへ父親が亡くなったと連絡がきたら、大将が返ってしまし、一軍は瓦解したが、韓国では賞賛される。



東日本震災の時も、家族が行方不明の中でも中国から働きにきた従業員の避難を優先させたり、避難所で自分の子供には我慢させて、他の子供におにぎりを分けたり、実家へ帰ると連絡したら、親がもっと大変なおもいをしている人を助けなさいと他のボランティアに参加したなど。こういうのは韓国人には理解できない。



日本人は勝ち負けや出身にこだわらない、例え勝っても、勝負は時の運だとか言って敵に花をもたせたりする。



困った隣人 韓国の急所(祥伝社新書313)


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2015年4月10日金曜日

『もう一度会いたくなる人の仕事術』 千田琢哉

『もう一度会いたくなる人の仕事術』 千田琢哉 





成功者とそれ以外の人の差は
努力量ではなく「がんばり方」



ダラダラと雑用するのは
命の無駄遣い



30分会うために1時間かけてやってくるのが
大人の恋愛



一流の人と出会いたかったら
別の分野で自分が一流になる



クロージングの2倍のエネルギーを
アフタサービスに注ぐ



好きなことを見つけるために

食わず嫌いをなくしておく





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2015年4月5日日曜日

『女川一中生の句 あの日から』 小野智美(編)

『女川一中生の句 あの日から』 小野智美(編)





鈴木友理 3年生

あの日、山の上の中学校にいた。地震後、高校から下校途中の姉が中学校へやってきた。やがて母も駆けつけた。
「お姉ちゃんと一緒にいなさいよ」。母は町の自宅へ祖母を迎えに行った。それが最後の言葉となった。その日に限って朝、「行って来ます」と言わなかった。

7月、葬儀をした。父が手を尽くして集めた写真を袈裟に包んで荼毘に付した。その時だけ、父の前で涙を見せた。

空の上 見てくれたかな 中総体 (11月)


母と祖母に今、一言だけ伝えられるなら、何を?
そう問うと・・笑顔を作りながら、声にならない声で答えてくれた。

今伝える 今まで本当に ありがとう (11月)






佐藤亮太 2年生

雀の子 とべよとべよと せかす母 (5月)


5月にこう詠んだ。雀の子は町のこと。早く復興せよ。
母の言葉に重ねた。よく母に言われたのは「早く起きなさい」「早く勉強しなさい」
母と祖父母の4人家族だった。

あの時に 見た光景は 忘れない (5月)


学校から女川港一帯が見えた。
母たちが経営するスーパーを波はのみこんでいた。
4日後、迎えに来たのは叔父だった。母、祖母、曽祖父母も帰ってこなかった。
11月の句

会いたいよ 今も変わらぬ この気持ち (11月)








阿部美紅 1年生

地震直後、学校の近所に住む祖母が迎えにきてくれた。上履きのまま、高台の祖母の家に急いだ、道中、涙が止まらなかった。
翌日、外へ出ると、変わり果てた町の光景が広がっていた「見たくない」と祖母の家に引き返した。
津波は浜辺の自宅を沖へ流した。

そばにいる 仲間がずっと そばにいる (5月)


家を失った友達は次々と転校していった。
でも、電話やメールでつながることはできる。そう確信をもって5月の句をつくった。

今は、仮設住宅に暮らす。
家の明かりを失った町の夜は暗闇に包まれる。
「空の方が明るいかな」
これまで気にも留めなかった夜空を見上げた。無数の星。
震災地を支援し続けてくれる日本中の人々、世界中の人々の数に重なった。11月の句には感謝をこめた。

星の数 みんなの思い 光ってる (11月)







佐々木真綾 2年生

高台の中学校から女川港が見えた。母の勤務先の5階建てビルの屋根まで黒い波が迫り、泣き叫んだ。
先生が整列を求めた、女子の列の外に男子を立たせて、「右側の山を見て歩きなさい」。先生は左の女川港(海側)を見ないように指示。
雪が降り続く中、学校より高台へ避難した。
新学期、子供を亡くした先生がいた。悲しみに沈んだその表情を見つめ、瓦礫だらけの道端に咲くタンポポが思い浮かんだ。

いつだって 道のタンポポ 負けてない (5月)


中学の吹奏楽部で打楽器を教えてくれた先輩が亡くなった、故郷の景色は一変した。
津波の衝撃は忘れない。自然は怖くなった。しかし、わたしたちは自然とともに生きてゆく。負けられない。






星澤岬 3年生

海の町に生まれたのだから・・と両親に海にちなんだ名前をつけてもらった。
夏は海水浴、素潜りも楽しんだ、海は大好きだった。
その海が、敵になるなんて。
高台の中学校から、「あれは何?」数秒、凝視した。目の前の光景が理解できなかった。女川港を囲んでいた町が水没して、一面が海になっていた。

うらんでも うらみきれない 青い海 (5月)


港から2kmはなれた、自宅まで波は到達、大きな漁船が流れ着き、家は残らなかった。
跡地の瓦礫を掻き分け探したが、ペンたてぐらいしか見つからず、買ったばかりのギターも無かった。

いつも思う 夜の星見て 明日も良い日 (11月)


国語は得意ではないが11月の俳句の授業は待ち望んでいた。「今の思い」を残したかったから。震災前には無かった気持ちだ。津波で家を失ってから変わった。
「良い日」も震災前とは違う。
家族や友達と楽しく過ごすことがなにより大事。一日一日の思い出を大切にしたい。





渡邊佳菜絵 3年生

5月、先生たちの心を打った句。
瓦礫と化した町を大人でさえ、正視できずにいた。

見たことない 女川町を 受けとめる (5月)


あの日は学校にいた。2日後、迎えに来た母と歩いて帰った。
道中、同級生の家の前、土台しか残っていなかった、涙があふれた。
自宅がある高台へ。何事も無かったように家並みが続く、涙がまた溢れた。
無事の家を知って何でまた泣いたのか?
「自分のうちだけ残ってしまって・・・」
そう答えただけで口を結んだ。震える唇は開いてみたが、声は出せず、ぼたん、ぼたん、と大粒の涙がこぼれた。
中学卒業後はパティシエをめざす。
この町で菓子店を開きたい。





新田周子 3年生

高台の自宅は無事だった。
5月、近所で仮設住宅の建設が始まった。朝、カンカンカンと工事の音が響く中、学校へ向かう、頑張るぞ!

工事中 沈む私の 応援歌 (5月)


あの日、中学校にいた。
翌日、母と兄が来た。
母に聞かれた「お父さんは?」
PTA会長だった父が中学校にいると思っていた。
父は一旦高台へ避難したあと、また、町の中心部へもどったと勤務先の人から聞かされた、消防団員だった。
「お父さんのことだから、避難所のお世話で忙しいんでしょ」と母は捜しに行かずに待っていた。
2週間後、母は「3日に1度は行こう」と意を決して遺体安置所に通い始めた。いつも入口まで一緒に行った。
父に会えぬまま、母は疲れきって出てきた。
やがて安置所は閉鎖された。
こう思うようにした。
お父さんは長い旅に出た。
だから悲しむ必要はない。私は家族の元気の源になろう!

6月に辛さをこらえきれず、1日だけ学校を休んだ。
悲しみに沈む母の胸にはすがれない。一人きりになって泣いた。

お父さんを見つけたいと思う?という記者の質問
「ずっと旅に出ていてほしい。今頃はインド洋に行って、違う民族になって暮らしているかな」
涙を拭って、微笑んでくれた。




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