『心に響く小さな5つの物語Ⅱ』 藤尾秀昭
第一話「心願に生きる」
東井義雄さんは明治45年、兵庫県の但東町に生まれた。
昭和7年、姫路師範学校卒業、故郷の小学校に勤務。
以来その生涯を小中学生の教育に捧げた人である。
その東井さんは語る
人間は5000通りの可能性を持って生まれてくる。
死刑囚になる可能性も泥棒になる可能性もある。
その5000通りの可能性から、どんな自分を取り出していくか。
「世界でただ一人の私を、どんな自分に仕上げていくか。
その責任者がわたしであり、みなさん一人ひとりです」
「バカになるまい」
―講演の中で東井さんはそう繰り返し、
一人の知的障害を持った中学生の詩を紹介している。
私は一本のローソクです
もえつきてしまうまでに
なにか一ついいことがしたい
人の心に
よろこびの灯をともしてから死にたい
彼は、勉強はできないが、
何か一ついいことをしたいと頑張っている。
これが賢い生徒。
ところが、少し勉強ができてもバカがいる。
ある中学生が下校の途中、
通せんぼをした保育園の園児に腹を立て、
刺殺する事件が起きた。
一度家に帰って刃物を持って引き返しての犯行。
なぜ、やめとけとブレーキがきかなんだのか。
彼は自分で自分を人殺しにした
―東井さんの涙を流して発した痛憤である。
木村ひろ子さんは生後まもなく脳性マヒになった。
手足は左足が少し動くだけ。ものも言えない。
しかも三歳で父が、十三歳で母が亡くなった。
小学校にも中学校にも行けなかった。
わずかに動く左足に鉛筆を挟んで、母に字を習った。
彼女の詠んだ短歌がある。
「不就学なげかず左足に辞書めくり漢字暗記す雨の一日を」
左足で米をといでご飯を炊き、
墨をすって絵を描き、
その絵を売って生計を立てた。
自分のためだけに生きるなら芋虫も同じと、
絵の収入から毎月身体の不自由な人のために寄付をした。
彼女は言う。
「わたしのような女は、脳性マヒにかからなかったら、
生きるということのただごとでない
尊さを知らずにすごしたであろうに、
脳性マヒにかかったおかげさまで、
生きるということが、どんなに素晴らしいことかを、
知らせていただきました」
私たちは眠っている間も息をしている。
心臓の鼓動も自分が動かしているわけではない。
死ぬほど辛いことがあっても、
胸に手を当てた時、ドキドキしていたら、
「辛かろうが、しっかり生きてくれよ」
と仏さまの願いが働いていてくれる、と考え直して欲しい。
願われて生きている自分であることを忘れないで欲しい
―東井さんがすべての人に託した心願である。
産後に、東井さんの言葉をもう一つ。
「自分は自分の主人公
世界でただひとりの自分を創っていく責任者」
**************************************
食べたくて悶える店づくりを全力サポート
※飲食店店舗診断 無料繁盛店レポートプレゼント実施中
株式会社クインテッセンス 飲食店支援部
東京都千代田区麹町4-8 麹町高善ビル2F
HP: http://www.monzets.com
Tel 050-3367-1861
050-3367-1862
Fax 050-3730-6736
E-Mail info@quintessence.co.jp
オモシロキコトモナキ世ヲオモシロク@クマ吉 http://omoshiro365.blogspot.jp
読書習慣@クマ吉 http://book-kuma.blogspot.jp
飲食店を作ろう!Twitter https://twitter.com/monzets_q
キャンプへ行こう!@クマ吉 http://ryhiruma.wix.com/camp
儲かる飲食店のつくり方 http://kuma-club.blogspot.jp
**************************************
0 件のコメント:
コメントを投稿